2013年10月3日木曜日

中華の昔

ワタシ(たんこぶ)が過去にサンフランシスコに居た時に、近所のカレッジで英語を習っていたのですが、そこで祖母が日本人という中国人華僑の年配の姉妹と知り合いました。

いつもキレイにしているお二人
 



この姉妹は芦屋で生まれて横浜の山手で育ったので、日本語が話せるのですが、長い事使っていないので、たまにちょっと間違ったりするんですね。今日お会いした時も、黄色いリンゴを指さして「タンコブナス食べる?」「え、ナス?どれ?」「それよ、なすなす」と2人して言うんですね。20秒位してやっとわかった、「ナシ」って言いたかったんですねー。(でもリンゴだったヨ(・∀・))
 

この姉妹も先日のブログに登場したミリーと同じく、年齢が80歳前後なので、話す内容が面白いんです。この方達も歴史の生き証人です。お姉さんのご主人は香港の学校で校長先生をしていたのですが、教え子に何とあのブルース・リーが居たそうです。香港映画会の大御所、レイモンド・チョウ(知るか!)と姉妹が一緒に遊んでたっていう話を聞いて、ブルース・リー大ファンのHさんは大喜びしてました。

家に飾ってあったハンコの数々
 

このご一家はものすごくお金持ちだったようで、話が浮世離れしていて本当に面白いんです。
例えば、姉妹のお母さんは、中国の昔のお嬢様が皆する様に纏足をしていたので(幼児期よりを巻いて、足が大きくならないようにする事)、ヨチヨチ歩きで自分で身の回りの事は何も出来なかったそうです。その為使用人が何人も居たらしいのですが、その使用人っていうのは雇うのではなくて買ってくるんですってΣ(゚ω゚).ひょえー才になると親が売りに出して、この子達はご主人様のブラウスのボタン掛けから、全ての身の回りの世話をするんだそうです。
で、17才になると、男の使用人(コックさんなど)と所帯を持たせてあげてお勤め終了となるんですって。
その昔の中国では、纏足でないと良いお家には嫁げなかったそうですよ。
 


他にも文化大革命で実際に自分達が大変な目にあってしまった事など、あまり大きな声で言えない、まるで本の中に書いてある様な話をたくさん聞く事ができて、いつも大興奮してしまいます。

そんな姉妹がサンフランシスコの第2の中華街クレメント地区へと連れていってくれました。今迄のサンフランシスコの中華で一番おいしいお店でしたよ。ご馳走様でした。(またおごってもらっちゃったよぅ40過ぎなのに。)


 


 

 
 文革の時に政府にほとんど没収されて何も残ってない、って言ってたけど、お家の中には中国のキレイなものがたくさん並べてあります。

 
 
彫刻の美しい中国の窓
 



「また日本に行きたい」との事なので、今度はワタシが案内しようと思います。ウナギやおうどんを食べに連れて行こうっと。また会いましょうねー。

 

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